干上がるシーラカンス
テレビドラマと言うものが、とにかく視聴率が(>_<)伸びないと各テレビ局が(ーー;)頭を抱えています。
何せ「テレビドラマの花形」と言うイメージの未だに強いフジテレビの月曜九時枠、通称月9でさえも(ーー;)芳しくない、と言うかハッキリ言って(ーー;)悪い数字しか出せない状況ですから。
近年のフジテレビの凄まじい(+o+)凋落っぷりもあってこれが特に(・。・;目立っているんだとは思いますが、同様の現象は放送局や番組のジャンルを問わず、テレビ全体に関して起こっているものです。
テレビが文化の中心である限り可能だった今までのビジネスモデルが(+o+)通じない時代になったと言う事は、すでにテレビは文化の中心ではなくなったという、それだけの事です。
が、テレビ局の意思決定に関わるあらゆる人間がこの時代の変化に(・_・;)ついていけて居ないのでしょう。
頭を抱えて悩むというのは、「テレビが今までどおりの地位に居続けるためにどうしたらよいか」と言う絶対不可能な命題を解こうと躍起になっているからに他なりません。
全ての娯楽の頂点に長い間居続けて、何か下等な一平卒からやり直す気分になれないのは何となく(ーー;)想像はつきます・・・が、出来なければ潰れるだけです。
シーラカンスの群れの棲む池の水が、今まさに干上がろうとしています。
(>_<)何とかして別の生き物に進化して種として生き残っていくか、池の水の最後の一滴にまで(+o+)しがみついてそこでミイラになるか。
今テレビと言うものが置かれている状況は、つまりそういうことなのです。
なんかこのままだと干物になりそうな気がしますが。